なんとかなる!私なりの母の死の乗り越え方

みなさんこんにちは☆

エレクトーンで弾き語りをしている望月美弥です。

 

あなたの両親は元気ですか?

 

私の父親は元気です。

でも・・・

母親は5年前に亡くなりました。

 

ツラいですが、誰もが通る道。

 

世の中には、あまりにもツラくて、ショックから立ち直れない人もいます。

 

そんな人達のために、少しでも役立てればと思い、記事に書くことにしました。

 

今、ようやく心が落ち着いてきたところなので、私がどうやって母の病気と死に向き合ったのか、お話をしていきたいと思います。

信じたくない!医師からのガン宣告

2012年の秋、突然母が動けなくなったの。

夜に母が「体に力が入らなくてだるい・・・疲れがでたのかな?」と言い出したんだ。

でも、滅多風邪もひかない母なだけにとても心配になり、翌日かかりつけの病院へ連れて行くことにしたんです。

 

朝になって、病院に連れて行き、母が診察を終えると、私だけ医師に呼ばれました。

私だけが医師に呼ばれるのって、本人には言えない何かがあるということなんだよね。

医師は、患者に家族がいる場合は、本人にガン宣告はしません。

ガンだけに限らず、大病の場合は告知するかどうかを家族に任せているのです。

だから、すごく不安な気持ちで医師の元へ行ったの。

 

嫌な予感は的中し、医師からは

「検査結果の数値に異常がみられました。すぐに、ガン研究センターか順天堂病院へ行って詳しい検査を受けて下さい。恐らく膵臓ガンです。」

と言われたの。

 

医師は母にもどちらの病院へ行きたいか聞いたそうなので、この時点で「ガンなのかなあ」と思っていたのかもしれない。

でも、母は何も言わなかったの。

 

母は、何があっても弱さを見せない性格だったんです。

 

きっと、家族に心配かけないようにと気遣ったんだと思うなあ。

 

私は、医師に言われた瞬間、血の気は引き頭が真っ白になりました。

しかし、受け入れたくない自分がいて、「恐らくだし、きっと助かるよね!いつも元気な母がガンなんかに負けるはずがない!ガンじゃないかもしれないし!」そう思って家に帰ったのです。

 

そして、翌日に母が選んだ順天堂病院へ行ったの。

そこで検査を受け、その日に検査結果をだしてもらうことができたの。

私と父と母で検査結果を聞いたら医師は、「腫瘍ができてるけど大丈夫ですよ~。」って言ってくれたの。

 

家族3人でいた時はね。

 

その後、私と父だけ残るように言われ、医師の話を聞くことに。

 

医師からはこう告げられたの。お母さんは末期の膵臓ガンです。余命は短くて1か月、長くて3か月です。

もう手術はできないので、抗ガン剤治療になりますが、延命措置になるだけです。

症状が進んだら緩和ケア(=苦しくないように鎮痛剤を投薬したり、腹水を抜く治療、心の治療をすること)をします」

と言われたの。

 

余命って・・・うそでしょ?

これは夢?って思いたかった・・・

 

医師からの話を聞いた後、平然を装って母の元へ行ったの。

 

勘のいい母は「やけに遅いね。私、ガンなんでしょ?」って言われちゃったんだよね。

仕方なく、私は「うん・・・」と答えたよ。

余命も知りたいっていうから、「短くて1か月、長くて3か月って言われたよ」って言ったの。

その時に言われた未だに忘れられない言葉が、「人の命って儚いねえ・・・」という一言だった。

私はこの言葉を聞いて、「母らしくない!」と思い悲しくなりました。

だから、私は母を必死に励ましたよ。

「先進医療もあるし、大丈夫!頑張ろう!」って。

 

絶対に母を助けたい!そう思ったから。

 

それから数日後に、順天堂病院へ入院し、緩和ケアだけを受けることにしました。

あらゆる手段使った結果、母も大金も失ってしまった

今のままでは、緩和ケアをして、ただ死を待つだけになってしまう。

そう思い、異父姉妹である姉と二人でガンに効く療法やサプリメント、母に効果がありそうなものを探してみた。

 

もう必死だった。

 

この商品や療法は効かないかもしれないし、詐欺にあってるのかもしれない。

でも、そんなことを考えてる暇も余裕も全然なかったの。

 

できることはすべて試してみた。

 

さらに、先進医療を行っている病院を探し、K病院に転院することにした。

転院して、がん細胞に直接投薬するカテーテル治療や、腹水を抜く治療をしてもらい、少し元気になったの。

院長も「必ず良くなりますよ」って言ってくれたし。

 

それなのに、胃と腸の間に腫瘍ができたせいで、うまく消化できず、嘔吐してしまう頻度が日に日に増していったの。

脱水症状になりかけ、頻繁に水を飲ませてあげないといけない状態が続いたし。

母も私も、連日眠れない日をすごしました。

母は何度も申し訳なさそうに謝っていたよ。

 

私も心苦しくて仕方なかった。

 

それから2か月ぐらい経って、いよいよ疼痛(=ガン細胞によってさまざまな組織が損傷し、出る痛み)も出始めモルヒネ投与をすることに。

 

母は満足に喋れない状態になりました。

 

いつになったら良くなるんだろう?

必ず治るって院長は言ったよね?

そんな不安を覚えた私は医師に聞いてみたの。

そしたら、医師に「胃と腸の間が腫瘍で塞がってきたので、もう長くはないです」と言われてしまったよ。

 

 

「どういうこと??助かるって言ったのに!!」

 

やり場のない怒りがこみ上げてきた。

 

そこでようやく私達は騙されたと気づいたんです。

 

K病院は先進医療を行う病院のため、保険が全くきかず、一度の治療で50万円。

さらに個室代2万円。

父と2人で交互に付き添いをしていたので、まともに働けず、貯金は底をつく寸前に。

院長は助かるって言ったのに!!!

 

ひどい!!

 

院長に「助かる」と言われた時、録音をしておけばよかったなあと思ったよ。

 

この病院のせいで大金を失い、母も帰らぬ人となりました。

母の死をどのようにして乗り越えていったか

2012年3月9日の朝、母は69歳でこの世を去りました。

ドラマみたいにキレイに死なかったよ。

苦しそうに嘔吐をして。

でも、焦点は合っていないからもう意識はないようでした。

次第に呼吸は静かになり、とうとう止まったの。

覚悟していたとはいえ、脱力感でいっぱいでした。

 

それでも、ボーっとしている暇も泣いている暇もなくて、葬儀の手配、役所への手続きなど、やらなければならないことが山積みの状態。

父も意気消沈していて、何をしていいのかわからない状態。

「私がしっかりしなくては!母を天国へ送り出さなくては!」そう思い、父をサポートしつつやるべきことをこなしていったの。

姉はいるけど異父姉妹なので、私と父が手続きをするしかなかったんだよね。

 

そして、無事に母を送り出すことができ、すべてが終わった瞬間、自分の中の何かがプツッと切れたように無気力になって毎晩泣いていたの。

朝起きるたびに夢だったんじゃないの?そう思ってもどこにも母の姿はない。

母はどこに行ったんだろう?そのうち帰ってくるよね・・・

そう思って毎日過ごしても母は帰ってきません。

 

だから、こう思うことにしたの「母はどこか遠い旅にでかけたんだ。きっとどこかで見守ってくれてる。母の分まで幸せになる!母にはできなかったけど父には親孝行もする!」ってね。

そう思っても、母が亡くなってから3年ぐらいはずっと情緒不安定で、急に泣き出してしまうことがよくあったの。

なんでがん検診を定期的に受けさせなかったんだろう?

なんで看病疲れした時も、もっと優しく看てあげられなかったんだろう?

なんで母は死んでしまったんだろう?

なんで私と父を置いて逝ってしまったの?

 

なんで??

 

こんなことをずっと考えて後悔をしてたんだよね。

 

でも、なんとか毎日を過ごして、母が亡くなってから4年目。

ほぼ完全に、前を向けるように様になったの。

それからは、日々の生活の中でたびたび母の匂いがするようになったり、人生において何か転機がある前はアゲハ蝶を見るようになったりしたの。

こうやって、不思議なことが起こるようになったんだよね

母が天国から必死でメッセージを出してくれてるんだなあ。やっぱり見守ってくれてるんだなあって実感したよ。

今は、違う世界だけど母は必死に生きてる。

 

それに・・・

 

母は闘病中に「美弥が私の娘で良かった」って言ってくれたんだよね。

だから私も、「そんなステキな母の娘として恥ずかしくないように生きよう!」と決意したんです。

 

今は、母のお陰なのか、父も姉も健康だし、親友もできたし、周りの人たちに恵まれて過ごしています。

夢を叶えるきっかけをくれた恩師にも出会うことができました。

夢を叶えて周りの人たちに恩返しをする。

困っている人がいたら手を差し伸べる。

それが私の使命だと思っています。

おわりに

肉親の死って本当にツライよね。

今も、時々また思い出して泣いてる自分がいるもん。

 

でも、いつか前を向ける日が来るから、その日までがんばってほしい。

たまには立ち止まってもいい。

前を向いて歩いていけば必ずいい事があるから。

そう信じて歩いていこう!

 

あなたにも幸せが訪れますように☆

 

この記事で少しでも元気になってくれたら幸いです。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

 

望月美弥

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